先日、夫と約束の地、九州に行ってきました。
夫の病院で提案のあった人生会議の目標「郵便局や神社仏閣などの名所旧跡巡りをしながら、心豊かに生きる!痛みや苦痛のない生活・・・」を実現するために・・・。
福岡の大宰府天満宮は、いつか二人で行こうと約束をしていました。
令和元年五月に創作した和歌を書したひょうたんと行田の黒米を奉納させていただきました。
大宰府天満宮は、現代アート的な祭殿になっていて、屋根には草木が生い茂っていました。
自然と人間の調和を感じさせてくれました。
吉野ヶ里遺跡は壮大で、感動しました。埼玉県行田市のさきたま古墳エリアでも行われている勾玉作りや様々な体験コーナーがありました。時間があったら体験したかったのですが、先日行田で作った勾玉があったので旅のお供にしました。
帰路は、夫の一人旅となり、私は一足先に義母の待つ埼玉に帰りましたが、同じように和歌の書したひょうたんとお酒を阿蘇神社に奉納してもらいました。思いがけず、阿蘇神社からお礼の品をいただきました。
阿蘇神社は、熊本地震後後に、再生アート「りょうま君」と被災した熊本各地を巡った際に訪れた場所です。blog7年前の熊本応援
阿蘇神社では、地元の方々に出会い「10年したらまた来て!復興しているから。」と笑顔で声をかけていただきました。今年で熊本地震7年目、まだ修復中の場所があったそうです。
本当に10年たったら、完全に復活しているように感じました。
ちなみに、義母は前回の大阪の旅の際、夫より先に1泊2日で義母の元に戻ったのを気にして、義母はショートステイを2泊3日予約して「ゆっくり行ってきてね。」と言ってくれました。。
それぞれ豊かな一人の時間を持てたことに感謝しました。
静かに自分と向き合う時間は、新しい発見と行動を生み出す力になるようです。
?si=U7Pc2aqjl2UQidKn
(YOUTUBU動画:唄旅UTATABIさんより)
新しい農の世界に入りながら、家族の病院の付き添いや自宅で静養中の親族をサポートする日々が続いていました。
親族の症状は軽くなり、夫の方も気力体力が充実してきました。
夫の病院では「人生会議」のお話が看護師さんからありました。
「人生会議」とは、比較的元気なうちに、自分がどうしたいのか、家族と話し合い、医療職ともその情報を共有して、本人が納得して豊かな人生を送るようにするものだそうです。
夫の希望は、「できるだけ旅をしながら、各地の一宮や郵便局で印をもらうこと」「痛くないこと」「苦しくないこと」。
そこで、彼が長年訪れたいと思っていた長崎と佐賀に行くことにしました。
目標が定まると、夫の目が輝き、髪の毛もふさふさと生えてきました。
看護師さんにその話をすると、抗がん剤治療中、髪が生えてくることはあまりないそうです。薬が効いていない訳ではないので、気にしないで良いそうです。
夫が手術できない状態のがんだと知った時、身内は絶望のあまりショックでご飯も食べられない状態でした。私は、急激な体重減少の原因が分かる前は不安でいっぱいでしたが、診断がついてからは病気が良くなることを信じました。
義母が心破裂で生死の間をさまよった時のように、回復した時の笑顔を思い浮かべました。
今、義母は92歳マイペースに一人暮らししています。
母は「できる限り一人暮らしがしたい」「本当に困ったら自分から言うから、遊びに来てくれればいい」といいます。
毎日、誰か家族が顔を出し、デイサービスやヘルパーさん、ケアマネージャーさん達の沢山のサポートを受けています。
信じること、みんなの力が合わせることで、幸せが広がっていくようです。
私も、女性の力を中心としたNPO法人の設立に向けて、構想が徐々に固まってきました。
?si=wFrp7_y4wIYhHTTD
(動画:crownrecordさんより)
夏休みが終わろうとしています。
今の時期、生きる意味について悩む子供たちが多くいるそうです。
そこで、少しでもお役に立てればと、私の体験談をお伝えしたいと思います。
私は、今で言うDV(ドメスティックバイオレンス)の家庭で育ちました。酒乱の父が暴れて傷つく母。母は暴力によって入院したり家を何度も出たことがありました。お岩さんのように腫れあがった母の顔を見た時は、心が張裂けそうでした。視力が低く眼鏡を作ると、眼鏡嫌いの父に正座させられ怒鳴られました。また、キュロットスカートを買うと、「そんなものは履くな!」と使わせてもらえませんでしした。理不尽な怒りを度々経験し、親が正しいとは限らないと悟りました。多感な小学・中学時代は、生きていることが辛くて辛くて仕方ない状態でした。しかし、姉弟や理解ある先生や友人達のおかげで、乗り越えることができました。
成人してからは、八方ふさがり状態のストレス、会社経営の失敗、過重労働、脊椎疾患や関節の激しい体の痛み、乳がん、抗がん剤治療後のケモブレインの記憶障害や思考力低下、うつ状態などで、家族や社会にお役に立てない状態の時が多々ありました。さっき手に持っていた鍵の場所が分からなくなったり、買い物やメダカの餌さえ与えられないような時期もあり、人生を諦めてしまおうかと悩んでいました。
そんな時、途方にくれる家族ことが脳裏に浮かびました。
自分が死んでも誰も幸せにならない。
人生を諦めることは、悲しみを広げるだけだと気づきました。
自分が何もできない時は、周囲の人が愛を広げるチャンスだということにも気づきました。
今までは「何でしないんだろう。」と思うこともありましたが、できない人の気持ちが分かり、傲慢だった自分に気がつくことができました。
今を乗り越えれば、同じように苦しんでいる人に伝えることができると、そのことを励みに生きてきました。
人は、すべてを知らないのに憶測で安易にジャッジします。一生懸命生きていたとしても、思いもよらない非難にさらされることもあります。嫉妬や妬み、誤解からひどいことを言ったりする人もいます。
でも、一番大切なのは、人に信じてもらうより、自分を信じることだと思います。
いつか、すべての経験が生かされ、大きな愛を感じる時がくると・・・
みんな、ひとりではなく無意識の部分で繋がっているように思います。
もし、学校が合わなければ、別の学校を変えても良いし、家族の中で安らぎを感じなけば、ボランティアや習い事などで、幅広い年齢層のお友達を作っても良いと思います。
その人にあった居心地の良い場所が、どこかにあるように感じます。
人が苦手なら、動物たちや植物達、あるいは自ら創作して喜びを湧き出させてもいいと思います。
沢山の経験をして、喜怒哀楽、たくさんの感情を味わい、愛の器を広げていくことが、生きる意味だと思います。
(NHK YOUTUBU動画より)
今年もフウセンカズラの種ができました。
ご縁玉にして、ご縁のあった方に差し上げたいと思います。
ピンク色の雲を見ました。愛と調和を感じる雲。
そして、今日は、白虎隊の日。
(※白虎隊(びゃっこたい)は、日本の幕末維新における戊辰戦争の一環である会津戦争に際して、会津藩が組織した、武家男子を集めた部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。名称は、中国の伝説の神獣「白虎」に由来する
会津藩の敗色が濃くなる中での飯盛山での自刃で知られるが、戦死や自刃をしなかった隊士約290人は明治維新後を生きた[1]。:Wikipediaより)
(VABHJKさんの動画より)
子供の頃、白虎隊の話を聞いて、心がキューとなったのを思い出しました。
2~3年前には、夫と飯盛山にお参りに行きました。
飯盛山は、古墳と神社仏閣が一体化している場所でした。
観音経と般若心経を唱え、お線香やお供えをし、「みなさんの尊き経験は生かされています。今の平和な日本があるのは皆さんのおかげです。どうか、ご自身を責めず、そして、すべてを許し、天へとお昇りください。もし抵抗があるようでしたら、大地に抱かれ次のステップに進める時までゆっくりお休みください。」と真心を込めてお祈りしました。
その時、撮ったのが、以前にも紹介したこちらの画像でした。
詩『時空』
伝えたい思いがある
分かち合いたい感動がある
生きている今だから
生み出すことができる意識の結実(けつじつ)
感情を重ね合わせ
葛藤や歓喜の中から生み出される
創造という名の意識の楽器
時空を超えて
心の弦をつまびいて行くことだろう
By 咲たま ゆかり
また、古墳と神社が一体となっている場所では、素敵な光によく遭遇します。
埼玉県行田市 前玉神社
神奈川県寒川市 寒川神社
暑中お見舞い申し上げます。
ここ数か月、いくつかの土地を訪れ、静かな日々を過ごしていりました。
そして、様々な気づきを得て、活動名に「咲たま ゆかり」を加え、家族に負担をかけない活動の形に変更することとしました。
「咲(さき)たま」は、行田市内にある前玉神社、埼玉にちなみ、縁ある存在が花咲くようにとの祈りを込めてた名です。
昨日は、夫の治療の付き添いで訪れた病院の敷地内で、半月を見ました。
そこで、創作した詩は・・・
『半月(はんげつ)』
すべては そこにある
半分だけ見える月
影となり見えない部分に 心を添わす
月のすべてが
そこにある
By 咲たま ゆかり
※動画「辻井伸行×ドイツ 月光 ソナタ ベートーヴェン」より