夏休みが終わろうとしています。
今の時期、生きる意味について悩む子供たちが多くいるそうです。
そこで、少しでもお役に立てればと、私の体験談をお伝えしたいと思います。
私は、今で言うDV(ドメスティックバイオレンス)の家庭で育ちました。酒乱の父が暴れて傷つく母。母は暴力によって入院したり家を何度も出たことがありました。お岩さんのように腫れあがった母の顔を見た時は、心が張裂けそうでした。視力が低く眼鏡を作ると、眼鏡嫌いの父に正座させられ怒鳴られました。また、キュロットスカートを買うと、「そんなものは履くな!」と使わせてもらえませんでしした。理不尽な怒りを度々経験し、親が正しいとは限らないと悟りました。多感な小学・中学時代は、生きていることが辛くて辛くて仕方ない状態でした。しかし、姉弟や理解ある先生や友人達のおかげで、乗り越えることができました。
成人してからは、八方ふさがり状態のストレス、会社経営の失敗、過重労働、脊椎疾患や関節の激しい体の痛み、乳がん、抗がん剤治療後のケモブレインの記憶障害や思考力低下、うつ状態などで、家族や社会にお役に立てない状態の時が多々ありました。さっき手に持っていた鍵の場所が分からなくなったり、買い物やメダカの餌さえ与えられないような時期もあり、人生を諦めてしまおうかと悩んでいました。
そんな時、途方にくれる家族ことが脳裏に浮かびました。
自分が死んでも誰も幸せにならない。
人生を諦めることは、悲しみを広げるだけだと気づきました。
自分が何もできない時は、周囲の人が愛を広げるチャンスだということにも気づきました。
今までは「何でしないんだろう。」と思うこともありましたが、できない人の気持ちが分かり、傲慢だった自分に気がつくことができました。
今を乗り越えれば、同じように苦しんでいる人に伝えることができると、そのことを励みに生きてきました。
人は、すべてを知らないのに憶測で安易にジャッジします。一生懸命生きていたとしても、思いもよらない非難にさらされることもあります。嫉妬や妬み、誤解からひどいことを言ったりする人もいます。
でも、一番大切なのは、人に信じてもらうより、自分を信じることだと思います。
いつか、すべての経験が生かされ、大きな愛を感じる時がくると・・・
みんな、ひとりではなく無意識の部分で繋がっているように思います。
もし、学校が合わなければ、別の学校を変えても良いし、家族の中で安らぎを感じなけば、ボランティアや習い事などで、幅広い年齢層のお友達を作っても良いと思います。
その人にあった居心地の良い場所が、どこかにあるように感じます。
人が苦手なら、動物たちや植物達、あるいは自ら創作して喜びを湧き出させてもいいと思います。
沢山の経験をして、喜怒哀楽、たくさんの感情を味わい、愛の器を広げていくことが、生きる意味だと思います。
(NHK YOUTUBU動画より)
今年もフウセンカズラの種ができました。
ご縁玉にして、ご縁のあった方に差し上げたいと思います。

